※昨年春ごろに書いた「GO! GO! NILEGAWA」番外編です
ええと、ここ最近惰性で書き始めた短編のシリーズが「直方体の街」というタイトルなんですけど、あれはまあコンセプトとしては、自分が上京しておよそ一年数か月経過したというパースペクティブにおいて、自分の黒い瞳に映る東京、もとい首都圏の諸々の風景を、家に帰ってパソコンの前に向かいながら改めて想起し直して、輪郭だけ微かに残っている光彩画にお仕着せの色を塗るというか、とにかくそういうような大変に地味な仕事だという風に思っています。自分の記憶の頼りなさ、という点ではそんなに心配はないかと思いますが、しかし風景というのは捨象してみれば点とそこから生まれる線の集合に過ぎないわけですから、いくらその点が高密度で押し合い圧し合い(まるで固体の物質中の分子のような状態を想像して頂ければいいんですが)、それでもその点の一つ一つはHBやそこらではなくって、それこそ6Hとか7Hとか(それだけ固い鉛筆があるんだかどうだか知りませんが......)とにかくそれぐらいの半端なく硬質なものなんで、いざそれを一個の純粋芸術という形に翻訳しようとすると、そこに曲線美を見出そうとすると、具体の事物に当たる前の、要するに脳内での観念操作の段階で並大抵でない困難が待っていることは目に見えているわけです。
そうしてまた、この一連の作品のコンセプト上、これもあの、昔と違って何かしら頭の中に次作のアイディアなんかが浮かんできたとしても少し寝かせておいて、体系的な形に纏め上げられてから、つまりコンセプチュアルな形にしてお届けしよう、というのは最近芽生えだした心理傾向なんですけれども......ええと何を話してたんだっけ、まあとにかく脳味噌だけじゃなくって、それこそ前頭葉の一細胞と左足の親指が同じ程度に疲れるような非常に過酷な営みだということはもうかねがね説明したとおりです。
じゃあなんでそんな火中の栗を拾うような真似をするのか、というようなご批判はもっともなんですが、しかしまあ私はそれ以上に自己陶酔家なのかもしれないってことです。だいたい芸術だとかあるいは美だとか、そういういまいち実態がつかめない砂上の楼閣のような抽象的概念というのは、そのあまりに高次な抽象性ゆえになかなか市井の人の魂からは距離を置かれているような気がしますんで、するとわたしのような(自称)アーティスティックな、或いは(自称)ポストモダニストな連中はこぞって好き放題に手前味噌な解釈を並べ立てて得意げな顔でそれを人様の前で、時にはああでもない、こうでもないと生唾を飛ばし合いながら、罵り合いながら公開するという、大変な酔狂じみた行動に出るわけです。そして私も、今まで種々の芸術作品、まあ主には文学と音楽とが多くその起源となっておりますが、とにかくそうした気狂いじみた空気に感化されまして、その中で写輪眼を五重ぐらいな弧を描くようにゆらゆらと回しながら、一人薄紫色の夢の中に遊んでいるわけです。
どうです、こういう児戯的な価値観ってのは。だからまあ、これが要するに所謂崇高な美への衝動とか、10カラットの瞳とはつまりそういうようなもんですよ。それでもまあ、この気風はこうして今私が医学的な説明を加えている分には非常に毒のようなものに思われるかも知れませんが、実際まあ、内から外へ漏れ出す、ということに限って言いますと、毒性のあるものはほとんどなくって、むしろこういう芸術に関する変質的な知識なんかが教養だとか、あるいは(面映ゆい言葉ですけど)大人の品格とか、そういうような肯定的な評価をされて拍手喝采を浴びたりもしてますからね。しかしその内側へ視点を転換すると、鳴門の渦潮なんかとは比べ物にならない程度のどす黒い渦が常時活動しているせいで、常に透明な血を吐き続けて通勤電車に揺られなきゃいけないような惨憺たる連続を繰り返すような羽目になりますけど、その点であーだこーだ愚痴を述べていたってしょうがないので、この辺で沙汰止みにしましょう。
まあ、知らないうちにまたいつもの癖で(つまりは以上のように、本来企図していた方向と全然違う方向へ流れていって、その果てに本来辿っていた経路を見失って茫然自失とすることもしばしばあるような状態にあるという、物書きとして、どころか一つの語り手としての人間存在としてあるまじき特性のことですが)回りくどくも晦渋な、これは自分で読んでも何を言いたいんだか結局分からなかったりするんですが、あ、それとここで強調しておきたいのは、実際「直方体の街」を書いている最中でもそうだし、あるいは今まで諸々の文章を書いている時にも頻発して観察された現象ですが、私の書いている文章ってのは、どうもところどころに難解な表現だとか、常軌を逸したような発想だとかそういうものが出てきますが、これらのエクスプレッションのうちのほとんどはそれが発生した時点については一応作者の頭の中ではストーリーとして繋がっていて、わりかし合理的な説明もつくように出来ているのですが、しかしほんの小一時間経って何気なく初めの方なんかを見返してみると、一体何を意図してこんな語彙を持ち出したのやら、と、その瞬間モニター上の活字が全て疑問符に見えるような不可思議は、本当によくあることでして......。だからまあ、これは以前に何かしらのエッセーかなんかで書いたように思いますが、ダイモーンの声とかそういうのは意外と馬鹿にならない、と、そんなもんです。
そうです、とにかく、なんとなく適当に読み流して頂いて、その時読者たるあなたの脳内に流れる言語の河川の水に付いた彩りが、偶然にも私の考えていたのと同じ具合に練り上げられていたのであれば願っても無いことですが、しかし私の思っていたのとはまるで違う、どころか私が朝から晩までどっかの山紫水明たる秘境に閉じこもって五感を磨く鍛錬を二百年積んだところで、到底ひねり出せないような色味をいとも簡単に、それこそ鼻歌を歌いながらやすやすと形成されるような方もおりましょうから、いや、どころか作者としては後者の方が、その作者の将来性なんかも不遜ながらいろいろと考えさせていただくと至高の様に思われます。
ああちなみに、このブログ「続 玉虫色した日々彩記」はその「続」という意味深な一文字の現している通り、もとは2019年1月から2020年の夏あたりまで更新を続けていたブログ「玉虫色した日々彩記」というのがございまして、で、勿論この二つのブログの著者というのは全くの同一人物なんでございますが、その旧ブログの方では盛んに売りにしていた通り、私はこういう難解な小説なんかを好んで書いたりしている作家界隈では相当な若輩者でございまして。ええ、だからブログを書き始めた当初の19年1月時点ではまだ16歳の高校一年生で、(ごく初期の記事には「高1がアドラー心理学を語ってみた」とかいう小生意気なタイトルを付けたようなものがある。大変におこがましく無礼千万である)現在、つまり2022年4月はじめの時点では、まあ世間一般で謂うところの大学2年生、19歳なんでございます。ここで世間一般で謂うところの、という風に注釈が付いたのは、むろん私が大学2年生ではないからなんですが、これにつきましては実際昔からこのブログを訪問してくださっている方のなかにはその深い訳をご存じの方も当然いらっしゃるでしょうから、まあ別に知らなくてもなんだって構わないんですが、とにかく退っ引きならない訳がありまして、それについてはこれから喋り始めると大変冗長な文章になってさぞかし見苦しからん、ということでTo be continuedです。それでは、ついこないだ無事成人になったばかりの(私の世代(2002年度生まれ)は「19歳成人」なんです。後にも先にも恐らく無いことでしょうからこれだけは記念にしているつもりなのですが......)馳川眞椰より、ほんのご挨拶でした、バイバーイ。
2022.4.3